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東北被災地の実態を知り、現場の声を聞く―雇用の場こそが今求められている―

text by

小泉龍司

2011.08.29

1.去る8月16~18日にかけて、岩手県宮古市、釜石市、大槌町、大船渡市、陸前高田市、宮城県気仙沼市、南三陸町などの被災地を回り、現在の被災地の実態を把握するとともに、被災者の皆様の本当の声を聞いて参りました。
 私が支援している「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の皆さんによれば、「国会議員の視察は多くの場合、日帰りが可能な宮城県石巻市等に集中する傾向があり、しかも市役所などで一通り話を聞いた後、被災地で写真を撮って帰ってしまうことが少なからずある。他方、岩手県の被災地にはなかなか国会議員が尋ねて来ない地区もあり、そういう地区を回ってもらいたい。」とのことであり、今回、同プロジェクトのメンバーの仲間が所在する地区を3日間に渡り尋ねて参りました。
 確かにどの地区でも、その地区の復興に中心的な役割を果たしているメンバーを訪ねてくる政治家はほとんどいないということを、皆さんから聞きました。

2.被災地の復旧復興は、政治や行政の力だけで成し遂げることはできません。民間の方々の意欲と創意工夫、そして資金と労力を投入してこそ初めて復旧復興が成し遂げられていきます。
 そういう点で、民間の方々の思いや直面している現実と政治における意思決定の間に、情報ルートとして各自治体の市役所や役場が介在していることが大きな問題点であるということが分かりました。
 役場の職員自身が被害を受けて亡くなった方も多く、大きなダメージを受けていることに加え、厳しい言い方になりますが、役場の職員は今後の雇用と生活の安定を保証されているため、完全に被災者の立場にはなってくれない、という指摘も強くありました。
 多くの場合、こうした制約を抱える地方自治体組織のみを通じて、基本的な情報は県や国に届けられているため、復旧復興に大きな役割を果たすべき民間の方々の直面する現状や意思を、国の政策決定に十分反映させることができずにいる、ということを強く認識しました。

3.また、地方自治体のトップのリーダーシップが復興に大きな影響を与えているということも、現地に行って初めて理解することができました。
 最も大きな具体例はがれきの処理です。宮古市から陸前高田市までの岩手県沿岸部の地区では、がれきは概ね撤去され、少なくともがれきの仮置き場に移送されていました。ところが宮城県に入るとがれきの撤去は遅々として進んでおらず、現状のまま放置されている状況を見て非常に驚きました。
 また、岩手県では仮設の店舗が徐々に立ち上がり、仮設のコンビニ、仮設の寿司や、仮設の美容室(宮古市の商店街や後に述べる大船渡市のニュー清水理容室等)など、徐々に経済活動が復活していく兆しが見られます。
 しかし宮城県ではがれきの処理が進まないこと、また復興計画が決まるまでは仮設の店舗を作ることにリスクがある(後で引き払わなければならなくなるかもしれない)ため、未だそうしたお店は立ち上がっていません。
 がれきの処理については、岩手県ではゼネコンを入れ大量の重機によってすみやかに撤去したのに対し、宮城県では(少なくとも今回訪れた地区は)ゼネコンを入れることなく地元の業者で処理が行われているため、処理に延々と時間がかかっています。南三陸町で動いていた重機は数えるほど、またがれきを運ぶトラックも3台ほどしか見かけませんでした。
 このがれき処理の大枠を決めたのは、(がれき処理の権限を持つ)知事や自治体の首長さんたちであり、そこにはがれきの処理を優先するか、それとも地元業者への仕事の配分を優先するかという政治判断があったわけですが、いずれの判断が正しかったかは現地の様子を見れば歴然としています。

4.「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の別のメンバーが宮城県石巻市で調査した経過の報告を受けましたが、被災者の方々の約3分の1が失業し、そうした方々を含め被災者の方々の家計の蓄えは概ねあと半年で底をつく、という結果が判明しています。これに日赤を通じた義援金や「災害被害者救済支援法」に基づく支援金が合わせて100~200万円ほどが加算されたとしても、1年以内には蓄えは底をついてしまいます。
 被災地における雇用の場を確保できなければ、若い世代は被災地を離れ二度と戻ることはなくなるとともに、高齢者を中心に生活保護受給世帯が来年以降急増すると考えられます。
 気仙沼市のハローワークを尋ねてみました。
 「求人」そのものは昨年の今の時期約400人であったのが、現時点では約1200人の求人があり、人数としては大きい求人があるが、その中身は従来あった食品加工会社や工場などの求職はほとんどなくなり、がれきの処理などの単純労働かつ数ヶ月間限りの求職が多くを占めている、とのことでした。
 大阪仕事協会という組織を通じて関西方面の仕事の求人がかなりきていましたが、これはいわば「出稼ぎ」になってしまいます。

5.以上の通り、町の安全性や今後の発展性を見込む復興計画も大事ですが、当面の雇用と生活の糧を得る場をどのように復活させるかが、最も重要な課題であると強く認識しました。
 いくら立派な復興計画を作っても、それを実現しようとした時に、その町にはそれを支えるべき人がいなくなっていた、ということが現実に起こり得るということを実感しました。
 「ふんばろう東日本支援プロジェクト」のメンバーは、こうした問題意識から、まず陸前高田に重機の運転資格を得るための専門学校をすでに立ち上げ、また南三陸町のホテル観洋の会議室を借りて、ITに関する職業訓練校(南三陸パソコンスクール)を今月、立ち上げました。(写真参照)
 さらに東松島町にも重機の職業訓練校を立ち上げる準備をしており、私もこれらの職業訓練校の立ち上げのお手伝いをしています。

6.雇用の場の重要性については、宿泊させて頂いた南三陸町のホテル観洋の女将さん、阿部憲子さんが非常に的確な指摘をされていました。
 まず仕事を持つことによって、被災者は苦しみを断ち切ることができるようになる、ということ。もし仕事がなくなれば、被災者の心はどんどん暗い方向に進んでいってしまうこと。また、今は全国から支援の声が寄せられているが、一定期間経過後も復興できない場合には、きっと「被災地の人たちは何をやっているんだ。甘えているのではないか。だめな人たちだ。」といった批判が生まれてくるに違いない。だからこそ自分たちの力で立ち上がり、人が住み続けられる町として復活を果たしたい、おっしゃっていました。
 女将さんは、ホテル観洋及びグループ企業の従業員を一人も解雇せず、ホテルには今も400人の被災者を受け入れています。

7.そうした復活の先頭に立っている方に、大船渡市でお会いすることができました。大船渡市の海岸近くの小高い丘の上に仮設の理容室を立ち上げた清水康雄さんです。
 大船渡市の復活を果たしたいという強い思いで、ご家族の一致結束の下、丘の上に旗を掲げ理容室「ニュー清水」を立ち上げられました。
 当日我々の到着が遅れしまい、お目にかかれず本当に申し訳ないことを致しましたが、仮設住宅自治会長・清水正悦さんはじめ10名近い方々が私の到着を待って下さっていたとのことです。その皆様方からの要望書をしっかりと受け取りました。
 こうした皆様方の意欲と行動力こそが復興への希望であり、力の源なのだということをひしと実感しました。
 頂いたご要望については、全力で取り組んで参ります。

8.もう一度、ホテル観洋の阿部憲子女将の言葉に戻ります。
「もともと過疎と高齢化が進む東北沿岸部に残り、生活してきた人たちは、郷土愛の中で懸命に頑張ってきた人たちです。その中で今回被災し、あるいはリストラされ、納得できない思いでいます。
 加えてこうした人たちが復興に向けて何を言っても実現しない(役所が受け付けてくれない)という状況がこれ以上続くと、彼らも嫌になってしまい、ついには地域を支える人がいなくなってしまうことが本当に心配です。」とおっしゃっていました。

9.この声にどう応えていくことができるのか。
 例えば政府系の政策金融公庫では、未だに被災地復興のための特別融資制度を設けていません。私から同公庫に強く促し、ようやく3次補正予算の要求に向けて準備が始まりました。
 しかし、まだまだ被災地の実態が見えていません。
 民間の力を雇用の創出につなげる道を何としても見出すこと。
 大きな課題を抱えて帰ってきました。


①宮古市を案内して下さった地元ボランティアの内館さん(右)と友人の方。友人の方が手を引いてくれなければ津波に飲まれていたとのことでした。

②宮古市の商店街で。浸水被害から見事に立ち上がっていました。

③宮古市中里団地。仮設住宅にて。冬物衣類の準備が全くないとの訴えがありました。

④内館さんのおばあさんが津波から逃れたはしご

⑤宮古港にて

⑥大船渡市の水産加工工場にて

⑦大船渡市の理容・ニュー清水にて

⑧南三陸パソコンスクールの様子(ホテル観洋内)

⑨南三陸ホテル観洋・阿部憲子女将と

⑩女将さん、ふんばろう東日本支援プロジェクトの皆さんと

⑪南三陸町・志津川高校避難所を支える皆さんたちと

⑫ハローワーク気仙沼にて(気仙沼プラザホテルの一角に入居している)

⑬がれきがきれいに片付けられている岩手県大槌町周辺

⑭多くのがれきが残る宮城県南三陸町周辺