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「悼む人」(天童荒太 文藝春秋社.08年11月30日初版)-秩父を舞台として-

text by

小泉龍司

2009.01.05

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 最近の新聞に書評が出ていたので、頭をリフレッシュさせるために久しぶりに小説を読もう!と思い、大晦日に買ってきて、正月に読んだ小説です。面白くて、読み終わるのがもったいないような気分にさせられました。
 全国放浪の旅を続ける主人公が、最後に本庄児玉を通って秩父に入っていくので、驚きました。皆さんの好みもあると思いますが、私は名著だと思いました。

「何をしているんですか」思わず言葉をかけていました。まるで祈りをあげているような相手の姿に、動揺したのです。影が静かに立ち上がりました。若い男の人でした。・・・・・・「ここで或る人が亡くなられたので、その人をいたませていただいています」彼の答を聞き、いたむという言葉が<悼む>であることにようやく気づきました。・・・・彼がききました。「・・・彼女は、誰に愛されていたでしょうか。誰を愛していたでしょう。どんなことをして、人に感謝されたことがあったでしょうか」・・・・・・・彼の名前は聞きそびれました。だから私は<悼む人>と呼んでいます。彼はいまどこですか。何をしていますか。なぜあんなことをしていたのでしょう。いまもああした行為をつづけていますか。何が目的ですか。<悼む人>は誰ですか。
(プロローグから抜粋)

 <悼む人>となって、全国放浪の旅を続ける主人公・坂築静人の姿を、母親、週刊誌の記者、殺人の刑期を終えて出所した若い女性、三人の目から描き続けます。誰しもいつか、かけがえのない人の死に遭遇します。誰しも自らの中に、孤独な死への潜在的な怖れがあります。
 「誰を愛し、誰に愛され、どんなことで人から感謝されたか」という、主人公が悼みの旅で問い続ける言葉は、人の生命の本質をとらえた言葉であると思います。人の生涯におけるすべての営みは、つまるところ、この言葉に集約されるのだと感じます。
 正直に言えば、七年前から、妻裕子を喪った苦しみを抱えてきた私は、心の奥底にある何かに触れられた思いがしました。
 最終章、奇しくも、坂築静人は本庄児玉から秩父の山の奥に入り、そこでクライマックスを迎えます。元旦の朝。山から登り来る日。その光の中に、新たに始まる新しい物語が見えてきます。