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深谷からリベラリズムを! ー渋沢栄一翁の精神に学ぶー

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深谷市議会議員 新井慎一(深谷市)

2007.08.13

 1945年の敗戦以来、我が国は米軍の占領下にあります。1951年のサンフランシスコ講和条約の締結により、国家としての主権を回復したことになってはいますが、事態は依然として変わっていないように思われます。駐留米軍の存在を抜きにしては、国防計画そのものが成り立たないのが、何よりの証拠です。

 現在、世界第二位の経済力を有する我が国ですが、独立の矜持は失われてすでに久しく、国を思う心や愛国心の涵養などが声高に叫ばれるのも、そうした事態を反映してのことと思います。アメリカの世界戦略の中に取り込まれたまま身動きのできない我が国の現状を省みる時、「独立の気力なきものは国を思うこと深切ならず」との福沢諭吉先生の言葉が痛切に胸を打ちます。

 幕末・維新の動乱の時代に、「独立自尊」の理念をかかげ、我が国の行く手を高らかに指し示したのが福沢先生ですが、文明の側から野蛮を断罪するその見方は、単純なだけに説得力があり、大きく時代を動かす原動力になりました。しかしながら、それは強者の論理であり、弱者に対する配慮に欠けていることは否めません。

 その意味で対照的なのが、我が渋沢栄一翁の生き方と考えです。ふつう渋沢翁は、我が国に資本主義を根づかせたパイオニアとして高く評価されていますが、その目指したものは、弱肉強食の資本主義ではなく、あくまでも全体の人の進歩を図り、全体の人の幸福を目的とする、協同と融和の精神による資本主義でした。渋沢翁は何よりも独占を嫌いました。

 『渋沢栄一伝』をお書きになった幸田露伴翁は、渋沢翁を称して「恭」の人と言っていますが、「恭」とは他者を尊重する精神の姿勢であり、このことに誰よりも厚かったのが渋沢翁でありました。他者を尊重することは、ひるがえって個人の人格、個人の尊厳、個人の独立と自由に最大の価値を見る精神でもあります。この意味で、渋沢翁は、近代日本におけるリベラリズムの源流ともいうべき位置に立っています。

 ややもすれば多数派の専制に流れやすい危険をともなう現今民主主義の制度ですが、これを健全に保ち、その有効性を確保して行く上で、何よりも大切なことは、他者を尊重するということ、渋沢翁の「恭」の精神ではないでしょうか。国政の場においても、あるいは地方の議会においても、多数におごることなく、少数派の意見に絶えず耳を傾け、これを尊重するという謙虚な姿勢こそ必要だと思うのです。

 渋沢翁の精神に学び、ここ深谷の地が、新たなるリベラリズム発信の地となるよう、さらに努力してまいりたいと思います。